
家族という道場 ―― エドガー・ケイシーの叡智に学ぶ
光田秀先生インタビュー(聞き手:西田普、田宮陽子)
今回は「家族と家庭」という、誰にとっても大切なテーマについて、日本エドガー・ケイシーセンター会長の光田秀先生をお迎えしてお話をうかがいました。家庭はなぜ、魂を鍛えるもっとも濃密な「道場」になるのか。光田先生ご自身の体験も交えながら語っていただいた内容を、ここに再構成します。
1 家庭は、最も濃い「霊的鍛錬の道場」
西田:本日は「家族に癒し、愛、希望をもたらすエドガー・ケイシーの叡智」ということで、非常に大切な「家族と家庭」をテーマにお送りします。家庭は、最も濃い霊的鍛錬の道場になる。日本エドガー・ケイシーセンター会長の光田秀先生をスペシャルゲストにお迎えしました。光田先生、どうぞよろしくお願いいたします。
光田:よろしくお願いいたします。
西田:早速ですが、家族という関係が、なぜ魂を鍛錬するうえで最も濃い道場となるのでしょうか。先日、質問項目について先生にご相談したところ、次の言葉を送っていただきました。
「家庭というのは、 天国のひな形にする努力をすれば、 まことに人生を充実させる喜びに満ちた場になりますが、 自分中心で生きようとすると、 とたんに家庭は苦しみの源泉になります。 どのような場にするかは、 家族のそれぞれに心の鍛錬が要求されます。 まことに家族関係は、霊的鍛錬のもっとも濃い領域です。」(光田先生)
どういう心の持ち方をしていると、家族が望ましい状態へ向かっていくのか。まず、そこから教えていただけますでしょうか。
光田:家庭が道場になる大きな理由の一つは、過去生から続いてきた人間関係の中で、最も濃い人たちが家族を構成するからです。
ケイシーのリーディングを調べても、夫婦やパートナーになる人について、「この二人は今回初めて会いました」というリーディングは、基本的にはありません。どこかの人生で、必ず何らかの関係を持っていた。喜ばしい関係もあれば、トラウマを残したような関係もあります。
親子関係も、まったく見ず知らずの家庭にいきなり生まれる、ということはまずありません。深い関わりがあって、その家庭を選びます。よく「子どもが両親を選んで生まれてくる」「どちらかの親を選んでくる」と言われます。それは一面ではそうですが、もう一面では、親の側も受け入れなければ成り立たない関係です。子どもも親を選ぶかもしれないけれど、親も子どもを選ぶ。
互いに「今回は頑張りましょう」ということで、家族関係をつくるのです。夫婦、親子、兄弟姉妹。前の人生から引き継いできたいろいろなことが、ぎゅっと濃縮されるのが家庭です。ですから、自然に道場になることになっているのです。
2 魂は、自分を高めるために家族を選んでくる
光田:それぞれの魂は、その関係の中で自分が高められることを知っているから、その家族を選びます。頭の意識で了解できるかどうかは別として、少なくとも魂のほうでは、「この関係で頑張れば、自分を高めることができる。今回はそれができそうだ」と、お互いに了解を得て、計画を持って家族関係を形成します。
生まれてくる前には、それだけの意気込みを持っていても、地上の意識が必ずしもそれに追従しないことがあります。思わぬ環境の変化が起き、もともと意図したように関われない場合もあります。特殊なケースでは、小さい子どもが突然、霊の世界へ帰ることもあるとケイシーは語っています。
そうした特殊な例を除けば、多くの家庭は、昔からご縁のある魂たちが「今回も頑張りましょう」と集まって形成されます。とりわけ、以前の人生で難しい関係だった人たちが夫婦になることも、よくあります。もちろん、喜ばしい関係だったから、今回も続けたいと家族になる場合もあります。いずれにしても、その家庭に入ることで自分が高まると知っていて、家族を形成するのです。
西田:養子として家族になる場合にも、そういうご縁があるのでしょうか。
光田:あります。「なぜ私はこの家に養子に来たのでしょう」と尋ねる人に、ケイシーが「それは前世からのご縁です。いつの時代に、こういう関係でした」と指摘することもあります。
頭ではわからなくても、何か昔からの理由があって、今回の家族関係を形成した。そのくらいの意気込みで、いろいろなことに取り組めばいいのではないでしょうか。
3 家庭を「天国のひながた」にする
西田:先生からいただいたメッセージには、家庭という場は、それぞれが自分中心になると苦しみの源泉にもなり、霊的理想に沿って努力すると、天国の姿にもなる、とありました。家庭を「天国のひながた」にしていくというのは、ケイシー先生の言葉なのでしょうか。
光田:そうです。家庭についての、ケイシーの有名な言葉です。これから結婚する人や、すでに結婚している人に対して、「あなたの家庭を天国のひながたのようにしなさい」とアドバイスしています。
もう一つ有名なのが、「あなたの家庭を、天使すらも客人として招かれたいと思うような家にしなさい」という言葉です。天使すら、その家に行きたくなるような家庭を目指しなさい、と。
西田:今日の夜、この家に天使が客人として招かれたいと思うか。そう考えると、わかりやすいですね。
光田:それくらい家庭は、魂の鍛錬にとって重要な場です。家庭は魂が安らぐ場所であると同時に、魂を高める場所でもある。そのことを自覚するかどうかが、とても重要です。
その自覚が薄いと、「今日は疲れているから」と、だんだんエゴが出始め、わがままになります。そうすると、家庭の中での霊的な鍛錬が崩れていきます。
4 今の境遇を、魂の鍛錬にふさわしい状況として受け取る
西田:家族の中では、それぞれが持ち寄ったカルマや、取り組むべき課題、癒されるべきものが出てきます。それに反応して同じことを繰り返すのか、違う方向を選ぶのか。
また、その家族に生まれたことで、自分の本当の人生の望み、霊的理想が鍛錬される面もあると思います。家族の問題についてのご相談は、YouTubeのコメントでも講座の質問でも、とても多いのですが、まずどのように取り組めばよいのでしょうか。
光田:まず、「今、自分が置かれている状況は、自分の鍛錬に最もふさわしい状況だ」と、覚悟して受け取ることです。
たとえば、両親の夫婦仲が悪く、「なぜ私は、こんな夫婦仲の悪い家庭に生まれたのだろう」と思うことがあるかもしれません。ケイシーの考えでは、その状況こそ、自分の魂を鍛錬するのにふさわしい。ただし、親が仲たがいしている状態を、ずっと我慢して続けなさいと言っているわけではありません。そこから出発しなさい、ということです。
自分の努力で両親の間が調和することもあるでしょう。親の姿を見て、「自分が家庭を持つ時には、もっと調和した家庭をつくりたい」という動機になるかもしれません。
病弱であれば、病弱なところから出発することが、自分の魂にはふさわしい。貧しい家庭に生まれ、大学へ行けず、すぐに就職しなければならない場合でも、その経験こそ、後々自分を高める材料になるかもしれません。
光田:私は、こういう時に聖書の言葉をよく引用します。
「あらゆるものが相まって益に導かれる」
いろいろな状況が組み合わさり、最終的には驚くべき成果へ向かう。そのことを了解できるかどうかです。
相談を受けていると、「これは大変だ」と思うケースにもたくさん出会います。「この親のもとでは大変だろうな」「この夫では大変だろうな」と思うこともあります。それでも、今の状況は精神性、霊性の鍛錬にふさわしい状況である。あるいは、自分の精神性や霊性も、その状況をつくる要因の一つになっている。好き嫌いというよりも、まず覚悟して受け入れることです。
5 逆境が、唯一無二の使命を開くことがある
光田:エドガー・ケイシー自身もそうです。お父さんは厳しかった。ケイシーが高校一年生の時、お父さんが事業に失敗し、ケイシーは高校を中退しました。自分は神学校へ行って牧師になるか、医学部へ行って医者になろうと思い、それだけの成績もあったのに、父親の事業の失敗で高校中退です。いろいろな仕事をしても長続きせず、落胆の日々でした。
しかし、病気をきっかけに、リーディングの能力が見いだされます。もしケイシーが普通に大学へ進んでいたら、よい牧師や医師にはなったかもしれません。でも、エドガー・ケイシーにはならなかった。あの時は本当にしんどかったでしょうが、あの経験がケイシーをつくったのです。
光田:また、ケイシーがリーディングをしているところへ警察官が乗り込み、「医師でもないのに医療行為をしている」と留置され、裁判を受けたことがあります。ケイシーは大きく落胆しました。ところが、その結果、ケイシーを審理した裁判官がケイシーに関心を持ち、非行少年の更生のためにリーディングを取ることにつながったり、ケイシー自身が『神の探求』のリーディングを始める流れにつながったりしました。
何がその後の展開につながるかは、表面的な目には見えません。けれども、魂のほうでは、それをわくわくしながらやっている可能性もあります。家庭では、こういうことが特に大きく出ます。
西田:光田先生ご自身も、唯物論者のお父様のもとで育ったことが、現在のお仕事につながっているのでしょうか。
光田:そうです。私はガチガチの唯物論者の父のもとで育ち、十七歳くらいから深く思い詰め、二十歳の時には、いっそ死んでしまおうと準備していました。そういう時にケイシーに出会い、驚嘆しました。その結果、ケイシーを広めるという強烈な決意が芽生えたのです。
気のいい、何でも認めてくれる父親だったなら、ここまでケイシーにのめり込まなかったかもしれません。ガチガチの唯物論者の父のもとに生まれたために、ケイシーの業績に触れ、それを広めたいという決意が生まれた。家庭というのは、長期にわたって仕込まれているのです。
西田:自分が長期にわたって仕込まれた場所にいると自覚し、今置かれた状況が魂の鍛錬にふさわしいとわかったら、いろいろなことへの向き合い方が変わりそうですね。
光田:その自覚があったほうが、はるかによいですね。魂は、その自覚を持たせようとしているのだと思います。
6 エゴで反応せず、魂の鍛錬として応答する
光田:たとえば、パートナーから嫌なことを言われたとします。魂という視点がなければ、言い返すか、落胆するか、腹を立てるか。そのくらいの反応しかできないかもしれません。
しかし、「これも魂の鍛錬の一つのプロセスだ」と理解できたなら、反応の仕方が変わります。「何か疲れていて、私に当たっているのかな」と思うかもしれない。それなら、疲れを癒すために肩を揉んであげよう、お茶を出してあげよう、お風呂を入れておこう、という発想ができます。それ自体が、自分の魂を鍛錬するのにふさわしい反応です。
西田:その時に、家庭を天国のひながたにする努力を選ぶ、ということですね。
光田:何かが起きた時だけではなく、日頃からやるのです。自分の家を天国のひながたにしようと思えば、自動的に部屋を片づけるでしょう。少なくとも乱雑にはしない。
うちは本や書類が多いので、少しごたごたして見えますが、それでもできるだけ整理整頓して、あまり醜い形にはしたくない。自らの霊性を反映するくらいには、部屋を片づけておきたいと思います。
7 夫婦関係では、霊的理想の調和を大切にする
西田:家族は、本来の魂の道を進み、霊的理想に沿って活動するために選んでいるとしたら、「この家族の中で養ってもらう霊的理想は何だろう」と考えるきっかけにもなりますね。
光田:夫婦やパートナーとの関係では、理想をもっとはっきりさせたほうがよいです。ケイシーの言い方で言えば、伴侶を選ぶ時、肉体的な魅力や容姿で選んではいけない。お互いの理想が調和するかどうかを、しっかり理解しなさい、と。
夫はこちら、妻はこちらと、まったく違う理想を持っていたら、進めば進むほど開いてしまいます。理想は全く同じでなくてもよいけれど、調和していなければいけません。ぴったり一致するのもよいですが、「調和する」というほうが、より現実的でしょう。
私のところは、妻もケイシーが大好きで、私が追求することを「どんどんやって」と支援してくれます。理想が近いところにあります。そうすると、家庭の中で調和が自然に醸成されます。肉体的な容姿はいずれ衰える。霊的理想が調和することを第一に考えて、家庭を設けなさい、ということです。
西田:田宮さんは、よく「西田さんを外見で選ばなかった」と言ってくれていますが。
光田:重要です(笑)。
田宮:先生のお話を聞いていると、ケイシー先生のお父様が事業に失敗してくださったことさえ、ありがたいと思います。その恩恵を受けて、私たちは今、ケイシー先生のリーディングを学べています。
光田先生も、唯物論者のお父様のもとで育たれた。霊的成長に興味を持つ方から、「家族やパートナーに、そんなセミナーに行くのはやめなさい、そんなことにお金を使うなと言われる」という相談を受けることがあります。それにも、何か意味があって、その家族のもとに生まれているのでしょうか。
8 異なるタイプの家族が、互いのバランスを取っている
光田:どういう働きでそうなっているかは、ケースによって違います。
たとえば、エドガー・ケイシーの家には、二人の息子がいました。長男ヒュー・リン・ケイシーはケイシーと同じように、熱心なクリスチャンです。ところが、もう一人の息子エヴァンス・ケイシーは、宗教的なことにはほとんど興味がなく、理科系の人間でした。
なぜ、その人がケイシーの家庭に来たのか。ケイシーの家族が、あまりにも宗教にのめり込みそうだったので、現実へ引き戻してバランスを取る役割で生まれてきたのです。同時に、その息子自身も、長い過去生にわたって合理的に考える傾向が強かったので、宗教的な感覚を養う必要があった。この組み合わせが選ばれたのです。
光田:エヴァンス・ケイシーだけが、犠牲的にその家庭へ来たわけではありません。彼も、そこに生まれることによって、自分が高められる機会があるとわかっていた。あえて馴染みのない宗教的な家庭に飛び込み、同時に、宗教へ傾きすぎる家族を現実へ引き戻す働きをしました。神のなさりよう、組み合わせの妙は驚くべきものです。
西田:私の父も唯物論者でした。私は子どもの頃から、唯物論ではなく、スピリチュアルなことや信仰に関心があったのですが、それも相互に役割があったのでしょうか。
光田:大抵、そうなっています。私も普通に育ったなら、宗教的な人間に簡単になっていたかもしれません。しかし、完全な唯物論の中で育てられたおかげで、哲学的、合理的に考え抜き、なおかつ信じられるかどうかを考える人間になりました。
それは、現代にケイシーの業績を広めるうえで役立っています。最初から「神様」と言っている人間では、周りの人は遠巻きに見るかもしれない。もともと唯物論者で科学の世界にいた人間が語ると、「唯物論者を納得させる証拠があるのだろうか」と関心を持つ方もいるでしょう。
私は、できるだけ理性的、合理的に説明して広めたいと思うようになりました。神様は、そういう傾向を得られるように、私をガチガチの唯物論者の父のもとに生まれさせたのかもしれません。まあ、何回か死んでみないと、本当のところはわかりませんけどね(笑)。
9 行動の基準は、「ここに主がおられたら」
西田:家族が病気になった時など、天国のひながたになる努力をしようと思っても、現実には何をすればよいのか迷うかもしれません。わかりやすい基準はありますか。
光田:「もしも、ここに主イエスがおられたならば、私は家族に対して同じことができるか」と考えることです。
たとえば、病気の父親がいるとして、「この唯物論者の父が」と邪険に扱う。それを主の前でできるかどうか。主がおられるところでは、たとえ唯物論者の父であっても、接し方はもっと思いやりのあるものになるでしょう。
そして、自分のできる範囲でよいのです。ものすごくお金をかけて高級な老人ホームに入れたり、高額な医療を受けさせたりすることだけが親孝行ではありません。主の御前で恥じることがなく、自分のなし得るところを十分にやったと自覚できるなら、それでよいと思います。
お金がなければ、「今日は父の足にオイルマッサージをしよう」「今週はひまし油パックをしよう」でもよい。それでも、神はよしとしてくださると思います。それによって霊性は高まるでしょう。
父親が霊界へ帰った時、「あの時、もっと高額な医療を受けさせてくれなかった」とは言わないでしょう。「息子は、できる範囲で思いやりを尽くしてくれた」とわかればよいのです。
問題は、自分が主の前に恥じることがないかどうか。これを一つの判定基準にすればよいと思います。
10 忍耐を続けた先に、関係が劇的に変わることがある
光田:いろいろな方の人生を見て、つくづく感じることがあります。親子関係がひどく破綻している方から、相談を受けることがあります。「これは大変だ」と思うほどのケースもあります。
それでも、「親御さんはあなたにひどい仕打ちをしているかもしれない。しかし、あなたのほうは、主の御前において恥じることがないように接してください。それはまず、あなた自身の霊性の鍛錬、浄化につながります」とお伝えして、実際に取り組んでもらいます。
最初の二か月、三か月は、何の変化もないことがあります。親の様子は相変わらずです。ところが、半年、一年と続けると、何らかのきっかけで驚くような変化が起きます。
親子関係が完全に断絶し、口もきけなかった母親と、初めて母と娘の関係になれました、と言われた方もいます。別れた夫への憎しみでいっぱいで、子どもがいなければ絶対に会いたくないと言っていた方が、そういう接し方を一年続けたところ、「前の夫が亡くなったら、私は号泣すると思います」というほど、愛しい元夫になったこともあります。
相手は相変わらず嫌な反応をするかもしれない。それでも、自分は主イエスが喜ばれるであろう接し方を、心を込めて続ける。すると、あるタイミングで、祝福が堰を切って流れるように、驚くような変化が起きます。変化はじわじわ来るかもしれませんが、どこかでポンと劇的に訪れる。私が見てきた方には、そういう人が多いですね。
11 病床の家族に、心を尽くして接する
西田:先生ご自身が、奥様の親御さんが体調を崩されていた時、一晩、手当てをしておられたという話が心に残っています。奥様の由美さんが、「光田がそうしてくれたことを、一生忘れません」と言っておられたのを・・・。
光田:入院しておられ、いろいろとしんどそうでしたので、まず足にオイルマッサージをし、賛美歌を歌いました。その場に主イエスがおられても、私はきっとこれをするだろう、ということをする。
そうすると、自分が死んだ後で、それを恥じることがなくて済みます。家族も、「あの時は、心を尽くして接してもらった」とわかる。それは、関わる人々にとって喜ばしいことです。
霊的な認識を持っているかどうかで、実際にそう行動するかどうかに、大きな違いが出ます。私がガチガチの唯物論者だったなら、そういうことはしなかったかもしれません。「主の目から見て恥じることがないように」という日頃の心がけが、行動に出るのです。
田宮:今のお話を聞いて、私も感動で涙が出てきました。家族とぎくしゃくしていても、半年、一年、神様の前で恥ずかしくない接し方を続けると、ある時、劇的な変化が起きる。そのために大切なのは、やはり忍耐でしょうか。
光田:もちろんです。家族だからこそ、少しやって相手がわかってくれないと、「もういいや」となりやすい。小ざかしい自分が一番出やすい場所です。だからこそ、忍耐の練習になります。
ケイシーの研究者、ジナ・サーミナラは、リーディングを研究したうえで、家庭生活について、うまくいけば、これほど人生を充実させ、楽しくしてくれるものはない。しかし、つくり方を間違えば、これほど悲惨なものはない、と表現しています。
喜ばしい家庭にするのも、悲惨な家庭にするのも、こちらの心がけと努力次第です。そして、その努力を払う理由を、私たちは持っています。霊的な自覚があるからです。
12 霊性が損なわれる時には、「離れる」選択もある
光田:ただし、ケイシーのリーディングには、夫婦関係があまりにもぎくしゃくし、修復が不可能だと判断した時に、「道を分けたほうがよい」と言う場合もあります。何が何でも別れてはいけない、という言い方はしません。
判定基準は、どちらが霊的な鍛錬にふさわしいかです。通常は、少々ぎくしゃくしても、それこそ鍛錬の道場だから頑張りなさいと言います。しかし、一方が努力しても、もう一方がまったく努力せず、差が開いてしまう。相手には努力する意志がなく、もはや自分の霊的成長にふさわしくないなら、「残念だけれど、道を分けたほうがよい」と言います。
光田:何が何でも、ずっと一緒にいなければいけないと思わなくてよいのです。親子関係でも、あまりにも厳しく、自分の霊性が損なわれると思ったら、離れたほうがよい。兄弟関係、夫婦関係、家庭の中で、自分や関わる人の霊性が損なわれ、卑しめられる時には、「あなたの努力は十分です。そこから離れたほうがよい」とケイシーは言います。
自分の努力は十分だったか。主の御前において、私は十分努力したと言えるか。それでも状況が変化せず、ますます自分が損なわれるなら、その場を離れる選択はあります。
西田:その道場にいるか、離れるかの基準も、自分の魂、お互いの魂が高まるかどうか、ということですね。
光田:そうです。どういう時に魂が最も高められるか。それがケイシーの場合の判定基準です。基準は一つだけです。自分の霊的成長が損なわれるかどうか。そこで自分が高められているかどうか。細かい条件がたくさんあるより、一つで決まるほうがわかりやすいでしょう。
13 家族の病気や悲しみも、「あらゆるものが相まって益に導かれる」
西田:家族が病気になり、深い悲しみや苦しみを経験することもあります。それが、自分の霊性を高める機会として与えられたとしたら、どのように受け止めればよいのでしょうか。先生のお母様がご病気になられた時に、どのように取り組まれたかを、『エドガー・ケイシー療法』の前書きに書いておられました。お母様も、さぞ喜ばれたのではないかと思います。
光田:まず、「あらゆることが相まって益に導かれる」という言葉で了解できると思います。病気は苦しいこと、避けたいことに見えます。しかし、魂は場合によっては、それを受け入れます。魂は、肉体の寿命をただ長くしようとは考えていません。それよりも、高まるかどうかを考えます。
病気で亡くなるほうが魂の成長につながるなら、その道を選ぶこともある。寿命が長いほうが高まるなら、長い寿命を保つこともある。究極的には、あらゆるものは相まって益に導かれている。その前提をしっかり持つとよいでしょう。
悲しむ、苦しむという経験も、後から振り返った時に、「あの苦しい経験があったから、私は今こうなった」とわかることがたくさんあります。私は、多くの方がそうなっていると思います。
田宮:胸がいっぱいになりました。私も家族の問題をずっと抱えていました。母は十四年ほど前に亡くなりましたが、母と私は性格が全然違い、ぶつかり合うことが多かったのです。反対の性格で、親子は縁を切れませんから、最高の修行相手ですよね。
光田:大抵、そうなります。夫婦も、同じタイプの人が二人一緒になると成長しづらい。ケイシーの言い方では、「互いに補い合う関係」が理想です。
私はこれが得意で、妻は別のことが得意。違う得意分野があるほうがよい。私の苦手なところを妻が補い、妻の苦手なところを私が補う。そうすれば、互いに補い合う関係ができます。
14 親子や兄弟姉妹は、違いを通して鍛錬し合う
光田:親子も、同じタイプなら友達同士のようで楽しいかもしれません。しかし、魂の鍛錬という点では、かなり違うタイプが出ることが多いでしょう。親とは違っても、祖父母とは似ることがあります。一代飛ばしで性質が現れることがあります。子どもより孫のほうが気が合う、両親より祖父母のほうが気が合う、ということもあります。
親と自分のタイプが大きく違うなら、鍛錬するために来たのではないでしょうか。魂は、「自分ならこの関係でやれる」と、自分の力量を見込んできた。そう思えばよいのです。
西田:兄弟や姉妹の間でも、幼い頃から苦しい体験をしたり、大人になってから大きくぶつかったりすることがあります。
光田:仲のよい兄弟姉妹もいますが、意外にそうでないことも多い。横の関係で鍛錬することがあります。ケイシーのリーディングを見ると、同性の兄弟姉妹で多いのは、前世で張り合った仲間だったとか、同じ男性を取り合った関係だった、というケースです。
前世では他人同士で、一人の男性を取り合って仲たがいした。それが今度は、わざわざ姉妹として生まれてくる。絶対に嫌いな相手なのに、姉妹になるのです。それは、前世で乗り越えられなかった仲たがいを、今回は乗り越えられると思うからです。
ただし、頭のほうには前世の勢いが残っていますから、何となく虫が好かない、嫌な感じがする。それでも、「これは自分の霊性にふさわしくない。主の前でこんなことはできない」と思ったなら、自分のほうから思いやりで返す練習を始めるのです。
15 「相手が変われば」ではなく、気づいた自分から変わる
西田:人間関係では、「相手さえ変わってくれたら、全部うまくいくのに」と思ってしまうことがあります。「この人が霊的理想を持って生きてくれたら、私の霊的理想もうまくいくのに」と。
光田:それは成り立ちません。自分からです。
ただ、不思議なことに、自分が変化すると、相手も変化することはよくあります。気がついたほうが先に変わればよいではないですか。そのほうがポイントが高いと思いますよ。ポイント制みたいに(笑)。
田宮:ケイシーの交流会で、ある男性が話していたことを思い出しました。奥様が病気を抱えていて、治したいと思っておられる。その男性はケイシー療法を勉強しているので、「食事はこうしたほうがよい」「これをやったほうがよい」と伝えたのですが、奥様から「もう、そういうのはいい」と言われたそうです。奥様は相変わらず、甘いものや揚げ物、ジャンクなものを食べている。それでも治したいと言っている。こういう場合は、どうすればよいでしょうか。
光田:よくあることです。私なら祈ります。
「今、こういう病気に取り組んでいます。自分としては、こういう方法がよいと思っています。しかし、ご本人にとって最もよい方法に取り組めるよう、どうぞ導いてください」と祈ります。
無理強いはしないと思います。勧めるなら、思いやりを込めて説明する。それでも本人が「私には勧めないでください」と言うなら、ご本人の意思を尊重します。その先、どういう結果になるかはわかりませんが、ご本人が選択したことであれば尊重する。
長い目で見れば、治るか治らないかも、魂のプロセスの中の一つです。そう見られるようになると、もう少し楽になります。
16 三つの転生を俯瞰して、執着を手放す
西田:家族のことになると心がくっつき、執着になってしまうこともありますね。
光田:そういう時、私は「人生を前後三つくらい、俯瞰してみたらどうですか」と勧めます。過去三回の転生と、これから三回の転生。その中にある「今」と考えてみる。
治らなくてもよいかもしれない。早く霊界へ帰るなら、それでもよいかもしれない。私たちは不滅の人生を生きています。まず、「私の思いやりが届きますように。あなたにとってよいようにしてください。必要なら、私は手伝います」と。
この半年、一年だけで見るのではなく、三回分くらいの転生の中の今だと思えば、「これまでも何回も死んできたし、これからも何回も死ぬだろう」というくらいの勢いで、余裕を持って接することができるかもしれません。
光田:「何が何でも、これで治さなければ」と思わず、ご本人がその方法を試したいなら、「今回の人生では、それを試してもよいのではないですか」と考える。そうすると、こちらもそこまで執着しなくて済みます。
いずれにしても、その態度を主の前でも取れるかどうかです。「ケイシー療法は嫌です。私は抗がん剤でやります」と言われたなら、「それもよいのではないですか。今回の人生で試してみてください。あなたの選択を支えます。途中で必要になったら、できることを提案します」と。
そうすれば、「なぜ、これをやってくれないの」と固着しなくて済みます。固着されるほうも、きっと嫌でしょうから。
西田:先生ご自身も、お母様に抗がん剤や外科治療を勧められたのですね。
光田:そうです。抗がん剤や外科治療を受けたほうがよいのでは、と言いました。
17 祈りは、結果を強制せず、神の御心に委ねる
西田:そうすると、祈りの方向も、「こうなってくれなければ困る」という祈りではなくなりますね。
光田:そうです。たとえば、私の場合なら、
「母が今、がんで闘病しています。どうぞ、あなたの目から見て最も喜ばしい治癒がなされますように。そして、あなたの癒しの光を注いでください」
と祈ります。そして、最後によく付け加えるのが、
「それによって、あなたの栄光をいよいよ称えることができますように、私たちを導いてください」
という言葉です。
こういう態度でいると、執着しすぎず、双方がもっと楽になります。そして最終的には、そのほうが喜ばしい成果へ導かれると思います。
光田:マッサージをする時も、「治してやろう」「治れ、治れ」と力むのではありません。
「どうぞ、あなたの癒しの光が、私を通して流れますように。それによって、いよいよあなたの栄光を称えることができますように、私を用いてください」
と祈ります。そうすれば、「あまり気持ちよくない」と言われても、必要以上に気にしなくて済みます。まあ、大抵は「気持ちいい」と言ってくれると思いますけどね(笑)。
18 家庭生活を、魂の力量を高める「実験」にする
西田:感謝と希望があふれてくるお話です。
光田:自分の力量を持って、自分を高める機会なのだと認識しているかどうかで、家族関係はずいぶん変わります。
家族から何か言われて、すぐに爆発する、腹を立てる。それではもったいない。昔なら腹が立ったかもしれないけれど、「ここが私の練習どころだ。ここで、主が喜ばれるように返してみよう」と思う。そこから、家庭の関係、家族の関係が喜ばしい方向へ変わります。
これも実験です。やってみることです。
田宮:胸がいっぱいです。コメント欄にも、「光田先生のお話に癒やされます」「先生のお祈りは素晴らしいですね」と、たくさん届いています。
西田:本日は、家族をテーマにした講座のプレ講座としてお話をいただきました。予定していた質問をすべて扱うことはできませんでしたが、今週金曜日の講座では、家族についてのケイシー先生の叡智を、さらに具体的に学びたいと思います。光田先生、今日も本当にありがとうございました。
光田:ありがとうございました。金曜日も、また頑張りましょう。
田宮:先生、本当にありがとうございました。
西田:ご覧いただいた皆様のおかげで、今日も先生の素晴らしいお話を伺うことができました。先生と主に感謝いたします。ありがとうございました。
結び
家族は、過去生から続く深い縁を持つ魂たちが、あえて選び合って形成する「もっとも濃い道場」。
家庭を「天国の雛型」にするという自覚を持つ。
判定基準を「主の前で恥ずかしくないか」に置く。
相手を変えようとするのではなく、まず自分が変わり、その接し方を半年、一年と忍耐強く続けること――そこに、劇的な変化への道が開かれる。
自らの霊性が損なわれるときには、その場を離れるという選択もまた正当な霊的判断。
すべての判断基準は、ただ一つ、「自らの霊的成長が高められているかどうか」に集約される。
より詳しい講座エドガー・ケイシー講座
【人生の悩みや諸問題こそ、心と霊性を高める錬成道場《11》】
【家族に癒し・愛・希望をもたらすケイシーの叡智】
家庭はカルマを浄化し、天命を悟らせる最高の道場
●オンラインで開催(見逃し配信2027年2月まで)
●スペシャル講師 光田秀先生
●ナビゲーター 西田普 田宮陽子
詳細とお申し込み
https://eventpay.jp/event_info?shop_code=2799892447193556&EventCode=P997591941
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