
YouTube対談を原稿にしたものです。
出演:光田秀先生 聞き手 西田普・田宮陽子
1 なぜ地球には「愛と性」が創造されたのか
西田:本日は「愛と性――魂の成長につなげるエドガー・ケイシーの叡智」というテーマで、日本エドガー・ケイシーセンター会長の光田秀先生をスペシャルゲストにお迎えしました。私たちにとって避けて通れない一方で、なかなか語りにくい「愛と性」について、ケイシー先生の叡智をご紹介いただきたいと思います。光田先生、どうぞよろしくお願いいたします。
光田:よろしくお願いいたします。
西田:「愛と性」と言いますと、少し身構えてしまったり、興味本位や色眼鏡で見てしまったり、大っぴらにするのはよそう、ということも多いかもしれません。けれども、私たちの人生では、この愛と性からさまざまなドラマが起きます。社会でも、愛と性をめぐって事件や大きな出来事が起きています。
考えてみれば、そもそも性というものがこの世にあること自体、不思議でもあります。なぜこの地球に愛と性が創造されたのか。そこにはどのような理由があるのか。ケイシー先生はどのように語っておられるのでしょうか。このあたりから、語り起こしていただけますか。
光田:このテーマは、なかなか皆さんの前でどんどん話せる、シェアしやすいテーマにはなりにくいですよね。しかし、ここを避けていたら霊学が成り立たない。私たちが霊的世界から、なぜ肉体の世界に入ってきたのか。そのプロセスを考えても、そこには性に対する関心があったとケイシーは主張します。
性は、私たちが肉体に入ってきた原因の一つであり、同時に、それをどう克服し、浄化するかが、霊的鍛錬において極めて重要です。ここを避けるなら、重要な側面をスキップし、無視してしまうことになります。やはり、きちんと取り扱っておかなければいけません。
2 肉体を持つに至ったプロセスと、性への関心
西田:以前の動画でもお話しいただきましたが、私たちが転生のサイクルに囚われた一つの要因が、性に関係していたということですね。
光田:そうです。ケイシーによると、私たちは元々、中性的な霊魂でした。地球上で生命が発生し、不思議な世界がつくられていることに関心を持ち、霊的世界から地上の世界に降りてきた、とケイシーは言います。
そのうちに、さまざまな動物たちが交わり、生殖行為をしているのを見て、「あれは一体何だろう」と関心を向けるようになった。そして、自分たちも真似てみようとし始めたところから、私たちは肉体にもつれ込んだ。ケイシーの英語をそのまま使うなら、エンタングルメントした、ということです。
霊魂が肉体にもつれ込んだ大きな要因が性であったとケイシーが主張する限り、私たちは性をどのように考えるべきか、よく理解しておく必要があります。
西田:性は、この地球に特有のものと考えられるのでしょうか。それとも、他者を深く知るために、性というものが必要だったのでしょうか。
光田:おそらく太陽系以外にも性はあると思います。物質は、そのままでは不安定なものです。プラスとマイナス、陽子と電子というように分かれて、初めて安定するという法則があります。物質の世界では、性とは言わず、ポラリティ、極性と言います。
たとえば中性子も、プラスもマイナスもない中性の粒子ですが、放っておくと適当な半減期で分かれ、陽子と電子になります。そして、お互いがよいあんばいで安定した軌道に入る。中性子でいるよりも、陽子と電子に分かれたほうが安定なのです。私たちも、ある意味ではそういう性質を元々持っていると考えたほうがよいでしょう。
西田:物質の最小単位を見ても、確かにプラスとマイナスのようなものがありますね。
光田:太陽系の中では、地球が特に際立っているでしょうが、他の星にも性はあるはずです。地球を見ても、植物には花があり、雌しべと雄しべに分かれています。動物も、雄と雌に分かれています。二つに分かれることが、自然界では安定し、神の法則、宇宙の法則に成り立っている。
そこに私たちは入ってきて、「一体あれは何だろう」と思い始め、そこからもつれ込み始めた。これが、ケイシーの語る、私たちの肉体としての出発です。
同時に、私たちには自由意思が与えられていました。そのため、単なる自然の状態での性的な交わりから逸脱し、そこにエゴや欲望が絡み、欲望が深まる方向に走ってしまった。その結果、私たちは抜けられなくなり、自分が本来、霊であるという感覚すら失ってしまったのです。
それを回復するプロセスでは、性を浄化するという感覚が必要になります。
3 性を浄化するということ
光田:ケイシーのリーディングに近い言葉で言えば、そういうことになります。仏教でも、性に関して極めて厳しい戒律が設けられています。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教でも、性が逸脱した場合には厳しい罰を与えるようにしてきました。
どの宗教も、性をどう扱うべきかということについて、ある程度共通する範囲を持っていると思います。ケイシーはそれを非常にわかりやすく、現代風に教えてくれた。その点でも重要です。
西田:では具体的に、ケイシー先生は、性とはこういうものだ、こう扱わなければいけない、ということを、どのように語っているのでしょうか。
光田:まず、自分の中の性欲を否定すると、それは最終的には自分を否定することになります。自分が生まれた理由は、両親の性的な交わりです。性的な交わりはいけないと言ってしまえば、「あなた自身がその結果ではないか」ということになります。
ですから、性や性欲を否定することは間違いです。ケイシーの言い方で言うと、すべての欲求は、それ自体は聖なるものです。食欲も、睡眠欲も、すべての欲求は本来、神聖なものなのです。
だから私たちは、自分の中に起きてくる性欲を、自分の霊性に見合った形、あるいは自分の霊的理想に見合った形で表現することが求められます。何もかも好きなようにしてよいとなれば、社会は乱れます。自分の霊的理想に鑑みて、性的欲求をどのような形で表現するのかを考える必要があります。
4 創造性と性エネルギー
光田:ケイシーは、性を否定するのではありません。むしろ、人が自らの創造性、クリエイティビティを高い次元で発揮するようになればなるほど、肉体上の性欲や、肉体的な性的交わりへの欲求は、それほど必要ではなくなる、低下してくると言います。
性は、自分の創造性と深い関わりがある。そのことを知っておく必要があります。芸術家の芸術は、性欲の昇華です。性欲が別の次元で現れたものと考えたほうがよいでしょう。
西田:性のエネルギーは、新たな命を迎え入れる源でもあり、聖なるエネルギーとして捉えることができるということでしょうか。
光田:そうです。そういうものとして扱わなければいけません。
私は、ケイシー療法を理解するために、よく解剖学や医学、生物学の本を読みます。たとえば受精卵が母体の中で分化し、成長していくプロセスを勉強すると、神様のなさりよう、その神秘に驚愕します。「何という驚くべきことだろう」と思います。
男性と女性が交わり、受精が起こり、その後、母体の中でどのようなプロセスが行われるのか。生まれた後も、赤ん坊の中でどのような細胞分裂が行われるのか。それを学ぶと、「私は何という神秘な事柄に関与しているのだろう」と驚嘆します。そうすれば、性をいかがわしい仕方で扱えなくなると思います。
私は、中学生や高校生のときに、こういうことをきちんと学ばせたほうがよいと思います。
西田:本来の性エネルギーは、生命力や創造力と同じ源を持つのでしょうか。芸術や音楽を生み出したり、仕事に情熱を注いだり、人の癒しに役立ったり、奉仕に向かったりするエネルギーにもなるのでしょうか。
光田:そうです。性エネルギーは生命エネルギーです。生命力そのものです。
多くの動物は、生殖行為が不可能になると寿命が近い。性行為が可能な限りは、身体は生きられるように働きます。性エネルギーは生命エネルギーとほとんど同じですから、大事に使わなければいけません。浪費していたら、それこそもったいない。
ケイシーのライフリーディングを調べると、性的エネルギーを汚した場合、次の転生でどのようなカルマを背負うのか、その事例があります。宗教上のドグマで「こうしなければいけない」と言うのではなく、具体的なリーディングによって、「この人は前にこうして、次にこうなっている」と知らされる。そうすると、おのずから適切な扱い方をしようという気になります。
性的エネルギーは、ある意味で、愛する能力と非常に近いところにあります。
5 神は愛であり、愛は神である
西田:今回のテーマも「愛と性」と二本立てにしていただきました。
光田:性だけを語っても仕方がありません。「愛と性」として語ることで、バランスが取れ、適切に理解することができます。愛も性も、本来は神聖なものです。それを私たちがどう扱うかが問われています。
他の動物は、それほど逸脱しません。人間は自由意思を持つので、逸脱することがあります。しかし逆に言えば、自由があるからこそ、他の動物よりもはるかに高い次元で表現することもできます。せっかくですから、高い次元のほうへハンドルを切りたいですよね。
獣のような方向へ行けば、自分の霊性を歪めてしまいます。歪めたらもったいない。そこから回復するには時間もかかります。
西田:リーディングには、性的なことでカルマを負った事例もあるのですね。
光田:あります。ただし、あまり直接的に言うと差し障りのある病気もありますし、「これをするとこの病気になる」と短絡的に受け取られるといけません。YouTubeでは慎重に言葉を選ぶ必要があります。
西田:では、性を高い次元で用いていくために、私たちは何を基準に見分ければよいのでしょうか。自分では愛していると思っていても、実際には、寂しさを埋めたい、自分だけを見てほしい、相手を所有したい、自分の欲求を満たしてほしい、という気持ちが混ざることがあります。
光田:そこはとても重要です。ケイシーの驚くべき教えの一つに、「神の根本的な性質、根本的な属性は愛である」というものがあります。
神は愛である。そして、愛は神である。
神はご自身が愛であったがゆえに、愛する対象として、私たち魂を宇宙におつくりになった。私たちの中には神のエッセンスが入っていますから、私たちにも愛する能力が与えられている。まず、そのことを理解しておきたいのです。
神は愛であり、愛は神である。私たちは神の材料でできているのですから、私たちの中にも愛があります。私たちの中に愛があるならば、神の中には、はるかに高次元の愛がある。そのことを理解したうえで、自分の性的な欲求をどのように表現するかを考えます。
ケイシーのリーディングには、さまざまな人が、さまざまなケースで相談を持ちかけています。とてもプライベートなことでも、皆さんかなり率直に質問しています。だからこそ、ケイシーの教えは宗教上の教義ではなく、具体的な個人の人生に密着したアドバイスになっています。私たちにも参考になります。
まず、性は神様から与えられた極めて重要な属性であると理解しましょう。それを否定すれば、自分を否定し、人類を否定することになります。
6 魂の成長につながる性的な関係
光田:成熟した男女が互いに引き合うのは、自然の摂理です。時期が来れば、自分の中に相手へ引かれるものが生じる。それは、美しい花がミツバチを引き寄せるのと同じだ、とケイシーは表現しています。ですから、そのことについて後ろめたさを感じる必要はありません。
西田:愛と性の結びつきが魂の成長につながる場合もあれば、お互いを消耗させ、傷つけ合い、立ち直れないようなことが起きる場合もあります。魂の成長につなげるために、大切な条件やポイントは何でしょうか。
光田:いくつかのキーワードがあります。性欲を利己的に発揮したならば、そこから逸脱が始まります。
「私が快楽を得たい」「私が相手を所有したい」と、自分の欲求を押し付けたならば、逸脱が始まる。ケイシーの言い方で言えば、「自分がしてほしいと思うことを、相手にしなさい」です。自分がされてうれしいと思うことを、相手にしなさい。これはさまざまなケースに当てはまる重要な言葉です。
性的な交わりを求めるとき、「自分が」が先に入って、自分の欲求を押し付けるなら、それは危ない。少なくとも霊的成長にはプラスになりません。
霊的成長に役立てたいなら、相手にとって喜ばしいことを考える必要があります。相手の自由意思を尊重し、相手が喜ぶことです。性的な営みは最終的に、相互の喜び、相互の充実でなければなりません。片方だけが一方的に満たされるなら、魂の逸脱、霊的成長から外れる方向になってしまいます。
7 心の中の妄想と、現実のバランス
西田:少し変な質問かもしれませんが、頭の中でそういうことを考えるだけでも、よくないのでしょうか。
光田:聖書の中で、主イエスは、女性を見て心の中ですでに犯したならば、実際に犯したのと同じだ、という趣旨のことを言われています。この女性とは、すでに結婚している女性を指すのだと言う人もいますが、主イエスは具体的にそう語られたのでしょう。
頭の中で妄想を抱いたなら、その段階で逸脱が始まる。これは結構厳しいですよ。私もそれを聞いて、「できるかな」と思いました。やろうと思えば、工夫や努力が必要です。霊的な価値観を身につけていないと難しい面もあります。
ただし、どのような妄想を抱くかにもよりますし、まったく何もなしに生きようとすれば、完全に独身を貫くような状態になってしまいます。それは社会にとって望ましくない。どこかに良いバランスがあり、そのバランスは人によって違うと思います。
8 子どもの成長と性の意識
光田:ケイシーが語っていることで、面白いものがあります。子どもは三歳頃に、自分の性の違いを認識し始める、と言うのです。女の子なら、自分は女の子だ、男の子なら、自分は男の子だと、性の違いを意識し始めます。
西田:子どもたちが小さかった頃を思い出すと、確かにそうだったかもしれません。自分の身体に興味を持ち始めますね。
光田:親が女の子に女の子の格好、男の子に男の子の格好をさせることも、自覚を促すでしょう。ただ、そうでなくても、自然の状態で、三歳くらいから自分の性の違いを知り始めるとケイシーは言っています。
また、ケイシーは、女の子が小さい時には、おままごとのような遊びをさせるのがよいと言っています。女の子は将来、子どもをもうけて育てるプロセスを経験することが多い。そのとき、一人で子どもを育てる意識を、早い段階で養うほうがよい、という考えです。
ケイシーは、小さい時におままごとをした女の子と、そうでない女の子が成長した時の統計を取ってみれば、どちらが家庭で安定するかわかる、と言っています。小さい時に男の子と一緒に集団で遊んでいた女の子は、家庭に収まりにくかったり、子育ての時に精神的なストレスを生じやすい、とケイシーは述べています。
一方、男の子には集団で遊ばせるのがよい。なぜなら、男の子は放っておくと一人になりやすいからです。女性は放っておくと集団になりやすく、男性は自然の状態では一人になりやすい。これは性差だとケイシーは言っています。
9 性的な喜びは「誠実に生きた報酬」
西田:魂を成長させるためのポイントの一つは、性欲を利己的に使わないことですね。
光田:そうです。ほかにも面白いリーディングがあります。
ある人が、「妻に性的な交わりを求めるのは、どのくらいの頻度がよいでしょうか」と質問しました。ケイシーの答え方が非常に面白い。
まず、「性的な交わりを人生の目的にするな」と言いました。頭の中にいつもそれしかないのはよくない。性的な交わりを人生の目的にしてはいけない。
そして、続けてこう言ったのです。
「性の喜びは、誠実に生きた報酬としていただきなさい」
すごい言い方ですよね。ちゃんと人生を生き、真面目に、一生懸命に生き、周りの人に役立ち、喜ばれる。その報酬として、性的な喜びをいただきなさい。これは、とてもわかりやすく重要な感覚です。
西田:中学生の頃の自分に聞かせたら、びっくりするかもしれません。中学生の頃は、そればかり考えていたかもしれません。
光田:思春期には、そうなることもあるでしょう。ただ、思春期を過ぎて安定してきたなら、そればかり考えているのは人生の浪費です。性欲が弱すぎるのも問題ですから、どこに健全さを求めるかです。
「誠実に生きた報酬として、性の喜びをいただきなさい」というのは、わかりやすい基準です。そうすると、神様のご褒美としていただくことになります。神様のご褒美として性的な喜びをいただく。その段階で、だいぶ利己的な発想が抜けています。
この能力は神様が備えてくださった。だから否定することもおかしいし、乱用することもおかしい。ケイシーがよく使った言葉は、abuse、乱用です。性欲を乱用してはいけません。
10 性エネルギーを高い次元で表現する
西田:性的な欲求に困っている人に対して、役に立つ方法やアドバイスはありますか。
光田:先ほども言いましたが、創造的な活動に従事すると、少なくとも肉体的な交わりへの欲求は、それほど必要ではなくなります。まずは、そちらの方向を考えるとよいでしょう。
昔から、芸術として表現する人もいます。美しい絵画を描く。家の中に花を飾る。音楽をかける。さまざまな方法で、高い次元に表現することができます。
また、食べ物によっても刺激されます。肉類が多いと刺激されやすい。自分にとってどのくらいがちょうどよいかを見ながら、食事を考えればよいでしょう。
私は二十歳の時、完全に野菜だけで生きてみたことがあります。一、二か月くらいだったでしょうか。性欲はぐっと下がりましたが、同時に生命力も落ちる感じがしました。実験的にやったのですが、あまり極端なことをするのも不自然だと思いました。
自然の中で、自然なレベルで行うのがよい。その中で、自分らしいバランスを見つけることです。私のバランスと、他の人のバランスは違います。
基準としては、神様が備えてくださった聖なるものとして、大切に扱うこと。そして、誠実に生きた報酬として、性の喜びをいただくことです。
11 ポルノや性風俗が与える影響
田宮:たとえばポルノや性風俗があります。特にポルノには暴力性が含まれていたり、お金が絡んでいたりします。思春期の男の子がそれを見て、「暴力的なことをしてもいいんだ」と受け取ってしまい、霊性を高める方向とは違うほうへ行く可能性はありますか。
光田:あります。そこは気をつけなければいけません。親御さんが注意する面もあるでしょうし、本人が自覚して、のめり込まないようにする必要もあります。最近はインターネットがありますから、気がつけばそういう世界へアクセスしてしまう可能性が大きいですよね。
ケイシーの時代には、今ほどの状況はありませんでした。ただ、過去生で娼婦だった、売春をしていたという女性の事例はいくつかあります。そのことが魂の中に残り、自己評価が非常に低くなっていた女性たちです。
本人には自覚がないのですが、「なぜ私はこんなに自分を嫌い、自己評価が低いのでしょう。自分は役に立たない人間だと思ってしまう」と尋ねます。するとケイシーは、「それは過去生に原因がある。ある過去生で売春をしていたことがあり、その時の罪悪感が今でもあなたを苦しめている」と伝えます。
12 過去生の罪悪感から解放される
光田:当然、その人は「私はどうしたらいいですか」と聞きます。するとリーディングは、新約聖書で、イエスが姦淫の罪で石打ちにされかけた女性を赦される場面を引き合いに出します。
主イエスは、「あなたがたの中で罪のない者が、最初に石を投げなさい」と言われました。すると、誰も石を投げられなかった。自分の中の罪を自覚していたからです。皆が去り、その女性だけが残りました。
主イエスは、「あなたを罪に定める者はどこにいますか」と聞かれた。女性が「誰もいません」と答えると、「私もあなたを罪に定めない。これからは罪を犯さずに生きなさい」と言われた。
その場面を引き合いに出して、主は赦される、と伝えるのです。
さらに彼女は、「では、私はどのように償えばよいのでしょうか」と尋ねました。すると、あなた自身がこれから喜びに生きれば、それこそが神の喜びとなる、と言われます。
過去のことを持ち出して悔い続けるのではなく、これから自分自身が喜びにあふれて生きる。それこそが、神への最大のお返しになる。いいですよね。
私たちの周りには、性的な逸脱を誘発するものがたくさんあります。一時、強く引き込まれたことがあったとしても、「これは自分の理想に反する」と気づき、そこから抜け出すことができたなら、過去のことをくよくよして、「自分は何と情けない人間だ」と思い続ける必要はありません。
「そういうこともあった。しかし、これからは喜びに満ちて生きよう。自分の霊性を鍛錬していこう」と心がける。それこそが、主の喜ばれること、神の喜ばれることだと理解してよいと思います。
光田:現代は、私たちの若い頃とは比べものにならないほど、性的な刺激に触れやすい時代です。その一方で、さまざまな犯罪もあります。性的欲求は、犯罪に巻き込まれる材料として利用されやすい。なぜなら、非常に強い欲望だからです。
食欲や睡眠欲は、生きるうえで必須ですが、強烈さという点では性欲が強い。犯罪者がそれを利用してお金を巻き上げたり、弱みを握ったりする。政治家へのハニートラップも、その弱みを狙います。
ここを律することができるかどうか。ここに鍛錬のしどころがあります。愛する練習にするのか、エゴを増長させる方向へ行くのか。癒しの方向へ行くのか。分かれ道があります。
13 過去の傷や後悔をどう乗り越えるか
西田:恋愛や性的な経験によって、「自分は傷つけられた」「自分は汚れてしまった」と感じる方もいると思います。また、人を傷つけてしまったという後悔や罪悪感も残りやすい。そうしたものを、どのように乗り越えればよいでしょうか。
光田:よく聞かれる質問です。私は、今生だけを見るから、「取り返しのつかないことをした」と思うのだと考えます。過去生を考えてごらんなさい。もっとひどいことをしたかもしれないし、もっとひどいことをされたかもしれない。
それでも私たちは、こうしてまた生まれ変わり、人生を送る機会をいただいている。宇宙が許容してくれたのです。今こうして生きている。それは、宇宙が許しているということです。まず、そのことで安心しましょう。
確かに私たちは、誰かを傷つけることがあります。傷つけられることもあります。しかしリーディングを調べると、無目的に傷つけたり、傷つけられたりするケースは非常に少ない。傷つけるにしろ、傷つけられるにしろ、そこに何らかの縁があり、しかるべき流れがあった。
ですから、そのことを思い出してくよくよし、自分の人生をその材料にするのはもったいない。私も誰かを傷つけたかもしれない。しかし、相手には傷つけられるべき何らかの理由があったかもしれないし、すでにそれを乗り越え、良い材料に使っているかもしれない。今生でそうならなくても、次の生でそうなるかもしれない。
究極的ななさりようは神がなさいます。私たちはそこまで心配できません。とりあえず、今の人生を一生懸命に生きる。どうしても償うべきことがあるなら、償う機会が来るでしょう。償われるべきことがあるなら、その機会も来るでしょう。宇宙の法則が働くことに任せるのもよいと思います。
宇宙は、驚くべき仕方で、あらゆることを相まって益に導かれます。
光田:私たちは、ここ数年という短い範囲で人生を考えるから、「こんなひどいことをしてしまった」「こんなひどいことをされた」とこだわり、固着してしまいます。でも大丈夫。アカシックレコードにはもっとたくさん書いてあります。こんな一つ二つが増えたくらいで、今さら慌ててどうするのですか。それほどたくさん書いてあっても、私たちは赦されている。そのほうを考えてよいのではないでしょうか。
西田:今から、神様に自分の心と身体と魂を向け直し、「祝福の水路になる」という霊的理想を実践してみる、ということですね。
光田:そうです。心の中に、「私はこんなひどいことをした」という、人に言えない悔いがあったとします。大丈夫。アカシックレコードに全部書いてあります。見ようと思えば、見られてしまう。神様にも、高い次元の存在にも、どのみち見られている。
こうなったら、完全に開き直るしかありません。「私はこんな悪い人間でした。こんなどうしようもない人間でした」と開き直りましょう。そのうえで、「どのみち私の邪なところは全部ばれている」と思い、そのままで行く。取り繕うことも、隠すこともありません。
「お前はこんなひどい人間だったじゃないか」と言われたら、「今さら何を言っているのですか。書いてある通りでしょう。隠していませんよ」と言えばいい。
14 「秘密の快楽」と罪悪感のリーディング
光田:隠そうとすると、病気になることがあります。有名なリーディングがあります。
アメリカ中部の資産家の奥さんが、五十歳になる少し前に半身不随になりました。さまざまな病院に行っても治らなかった。たまたまご主人がケイシーの噂を聞き、リーディングを依頼しました。
ケイシーは遠隔でリーディングを行い、その内容を手紙にしたため、医師のケッチャムに、「依頼者に渡してほしい。ただし、必ずご主人と奥さんの前で読み上げてほしい」と頼みました。
ケッチャムは言われた通り、資産家の邸宅に行きました。奥さんの両脇には二人の看護師が付き添っていましたが、その二人には退出してもらい、ご主人と奥さんの前でリーディングを読み上げました。
そこには、「この人が半身不随になっているのには理由がある。それは、若い時の秘密の快楽である」と書かれていました。
「秘密の快楽」と聞いた段階で、奥さんは驚きました。「このことは、私と神様しか知らないはずなのに、なぜケイシーは知っているのだろう」と思ったのです。
ケイシーは遠回しな表現をしましたが、その奥さんは若い頃、性欲が高まった時にマスターベーションをして、肉体の欲求を鎮めていた。そして、そのことを両親にも誰にも言えず、ずっと心の中に罪悪感として持っていたのです。
結婚して子どももでき、五十歳近くになった頃、突然、半身不随になりました。十代、二十代の頃の秘密の快楽が、三十年ほど経って病気として現れた、とリーディングは指摘しました。
ところが、不思議なことに、ご主人の前でこのことが明かされた後、彼女は回復していきます。罪悪感が解放されたからです。もちろん、ケイシーはオイルマッサージなども勧めました。しかし、最も大きな原因は、秘密の快楽に対する罪悪感でした。
だからこそ、ケイシーは、わざわざご主人のいる前で読み上げるように言ったのでしょう。ご主人は「何というくだらないことを言うのだ」と腹を立てて部屋を出てしまったそうですが、とにかく、罪悪感が解放されたことで彼女は治っていったのです。
15 愛することの延長としての性
西田:あっという間に一時間が経ってしまいました。今日のお話を受けて、まず実践するとよいことがありましたら、教えていただけますか。
光田:性的な交わりを求めるなら、愛することの延長でなければいけません。愛することの延長になっていなければならない。
ケイシーは、こういう言い方をしています。
「もし二人の男女が純粋に交わることができたなら、それは天使も羨む」
天使には、それがありませんからね。それくらい高次のものにすることができる。目指したいですよね。純粋に、身体の喜びに没頭することができたなら、それは天使も羨む。驚くべき考え方です。
16 罪悪感と身体の関係
田宮:先ほどの「秘密の快楽」の話は、本当にすごいと思いました。罪悪感が根本的な原因だったということですが、恐れや罪悪感があると内分泌系が乱れ、治癒を遅らせたり、病気をつくったりすることがある、ということですよね。
「私は悪いことをした」「誰にも言えない」と思っていると、身体の内分泌系が乱れ、さまざまなバランスを崩して病気になることがあるのでしょうか。
光田:そうです。今、生きている段階で、私はすでに神様の赦しを得ていると考えたほうがよい。神様の赦しを得た以上、私は喜んで生きてよい。それがよいと思います。
今、生きている、生きられているということは、すでに神様の赦しを得ているということです。神様の赦しを得ているのに、なぜ自分で自分を責めなければいけないのでしょうか。
17 性への依存と、霊的理想
田宮:私の知人に、性に関することが中毒のようになっている方がいます。男性も女性もいます。結婚していても、不倫などをやめられず、次々と関係を繰り返しています。
見ていて思うのは、性そのものを求めているというより、「愛されたい」「空虚さを埋めたい」ということがあるのではないか、ということです。たとえば男性の場合、母親が忙しくて構ってもらえず、ずっと母親の愛を求め、それを女性に求める。一人では足りず、何人も求めるようになる、ということもあるのでしょうか。
光田:そういう人もいると思います。ただ、そのような人も、心の仕組みをもっと学び、人生を高い次元へ持っていったほうがよいでしょう。ある意味では、低い次元で表現していることになります。
もしその方が霊的理想を定め、「これこそ私の人生を捧げるに値する生き方だ」というものを見つけたなら、そちらの方向にエネルギーを注ぐので、性のほうに使う時間はなくなると思います。「それよりも、こちらの方向にエネルギーを使いたい」となるでしょう。
その人を頭から否定する必要はありません。そういう時期もあるかもしれない。ただ、どこかのタイミングで、人生にもう少し高い目標を見つけ、自分らしい人生を生きてみたい、誰かの人生に自分の人生が役立ち、喜ばれていることを体験したい、と思うようになれば、そちらのほうへ舵を切るでしょう。
そういう生活に流れている人は、まだ他に高い生き方、人に喜ばれる生き方を見いだしていないのだと思います。
光田:ケイシーは時々、こういう言い方をしています。
「過去の経歴にどれくらい左右されるかは、あなたが許容する程度によって決まる」
いつまでもお母さんのせい、お父さんのせいにするのではなく、ある程度の年齢になったなら、自分の人生は自分で責任を持つ。そのくらいの気迫で生きましょう、ということです。
18 次回講座へ
西田:光田先生、本日も本当に素晴らしいお話をありがとうございました。
次回の講座では、今日のテーマをさらに深め、嫉妬、独占欲、不倫、依存、支配欲などの強い感情が出てきた時に、どうすればよいのか。また、祈りと瞑想が、性エネルギーをどう扱うかに深く関わっていると思いますので、そのあたりも具体的に教えていただきたいと思います。
ご覧いただいた皆様のおかげで、光田先生の素晴らしいお話を伺うことができました。皆様、ありがとうございます。
光田:ありがとうございました。またお会いしましょう。
より詳細で深いオンライン講座が、8月7日(金)20時より開催されます。(見逃し配信、長期間ご視聴可能)
エドガー・ケイシー講座【恋愛・性・パートナーシップを魂の成長につなげるケイシーの叡智】
性的エネルギーは、人生と魂をどのように変えるのか
●日時:2026年8月7日(金)
20:00~22:00頃終了予定
●オンライン開催
見逃し配信あり(2027年2月まで)
●スペシャル講師
日本エドガー・ケイシーセンター会長
光田秀先生
●ナビゲーター
西田普
田宮陽子
*扱う可能性のある内容(多少変更あり)
・エドガー・ケイシー先生は、性をどのように捉えていたのか
・なぜ人間には男性と女性という性が生まれ、互いに惹かれ合うのか
・性的エネルギーと生命力、創造力、霊的向上との関係
・性的エネルギーと、祈り、瞑想、内分泌腺、霊的覚醒との神秘的な関係
・性の力が、魂を高める方向にも、混乱を招く方向にも働くのはなぜか
・性的な欲求や衝動を、霊的理想とどのように調和させていくか
・子どもを迎える目的以外の性交渉をどうとらえるとよいか
・恋愛や性的関係に現れるカルマとは何か
・恋愛、性、パートナーシップを通して、霊的理想をどう錬成する
・ 「人生をともに歩める、誠実なパートナーと出会いたいのですが、なかなか出会いがありません」
「男性に恐怖感があります。それでも、心から和めるパートナーがほしいと思っています」
「パートナーとの間で、長年、性的な触れ合いがありません。私はあたたかな交流を望んでいます」
「パートナーに、私以外の異性の気配を感じます。尋ねると怒ります。別れた方がよいのでしょうか」
「既婚者を好きになりました。お互いに気持ちはあります。一歩踏み出してよいのでしょうか」
「性的な欲求やマスターベーションについて、罪悪感があります」
「同性に恋愛感情を抱きます。ケイシー先生は、同性愛をどのように捉えていたのでしょうか」
【詳細・お申し込み】
https://eventpay.jp/event_info?shop_code=1258323145205417&EventCode=P930331809
この項のまとめ
- ケイシーのリーディングでは、性への関心は、魂が霊的世界から肉体世界へ深く関わるようになった要因の一つとして語られている。
- 性は、肉体や欲望だけに関わるものではなく、生命力、創造力、愛する能力と深く結びついたエネルギーである。
- 性欲そのものを否定することは、自分の生命や誕生を否定することにもつながる。大切なのは、性を神から与えられた神聖な力として扱うことである。
- 食欲や睡眠欲と同じように、欲求そのものは本来聖なるものである。その表し方を、自分の霊的理想に照らして選ぶ必要がある。
- 性エネルギーは、芸術、音楽、仕事、癒し、奉仕、祈りなど、より高い創造的な活動へ向けることができる。
- 性を利己的に用い、自分の快楽、所有欲、支配欲を相手に押しつけるところから、霊的な逸脱が始まる。
- 性的な交わりを魂の成長につなげるためには、相手の自由意思を尊重し、相互の喜びと充実を大切にすることが必要である。
- ケイシーは、性的な交わりを人生の目的にするのではなく、「誠実に生きた報酬」として受け取るように教えている。
- 性的な喜びを神から与えられたものとして受け取るとき、性は愛の延長となり、純粋で高い次元の交わりになり得る。
- ポルノ、性風俗、依存、不倫などに引き込まれる背景には、愛されたい思い、孤独、心の傷、低い自己評価などが関係している場合がある。
- 性にまつわる過去の行いや秘密を、罪悪感として抱え続けることは、心身に大きな負担を与えることがある。
- 神は人を赦している。過去を責め続けるよりも、今ここから喜びに生き、生命をより高い目的に使うことが、神への応答となる。
- 傷つけた経験や傷つけられた経験も、魂の長い歩みの中で意味を持つ。最終的な償いや調整は、神と宇宙の法則に委ねながら、今の人生を誠実に生きることが大切である。
- 性的な欲求を高い方向へ導くためには、自分の霊的理想を定め、創造や奉仕、人に喜ばれる生き方へエネルギーを注ぐことが助けになる。
- 過去の環境や親との関係から影響を受けていても、いつまでも過去のせいにせず、自分の人生に責任を持って生きる姿勢が求められる。
- 性は、人をエゴや執着へ向かわせる力にも、愛する能力を育てる力にもなる。どちらへ進むかは、私たちの自由意思と生き方に委ねられている。
- 性を、愛する練習、魂を鍛える機会、神聖な生命エネルギーとして受け止めるとき、その力は霊的成長を支えるものとなる。
性は、神から与えられた生命の力です。
その力を愛の延長として生かし、創造や奉仕へと高めていくことが、魂の成長へつながっていきます。
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